映画「フリクリ プログレ」を鑑賞してきました。
公開初日(2018年9月28日)のレイトショーになんとか滑り込みセーフ。
あらかじめムビチケ(1,400円)を買っていたのに、レイトショー(1,300円)で鑑賞するという、おバカなことをしてしまいました。
だって、仕事のトラブルで、ブツブツ・・・。
今回は、そんなぐだぐだの状態で鑑賞した「フリクリ プログレ」の感想について書きますね~。
「フリクリ オルタナ」見てなくても大丈夫
「フリクリ プログレ」は「フリクリ オルタナ」の続編、という位置づけの作品のはずなのですが、その関連性を感じることはほとんどありませんでした。
「オルタナ」の続編、というより「プログレ」は全く別の作品として捉えてしまって問題ないかと。
だから「フリクリ プログレ」が気になる人は「オルタナ見てないからな~」というようなことは一切気にせず、映画館まで足を運ばれるといいと思いますよ。
映像としては「プログレ」のほうが好み
「プログレ」と「オルタナ」では、同じ「フリクリ」というタイトルを冠する作品でありながらも、その映像から受ける印象はかなり異なります。
「オルタナ」がどちらかというとTVアニメ向けの一貫性のある映像だとすると、「プログレ」は様々なタッチが入り乱れる実験的な映像が多く見られ、よりオムニバス色が強い作品となっています。
個人的には「プログレ」の映像のほうが好みに近かったですね。
公開されているPVにおいても目を引く映像のほとんどは「プログレ」のほうでしたし。
全体を通しての一貫性は感じられない
「フリクリ オルタナ」では全6話という構成の中でも緩やかな話のつながりや一貫性を感じることができたのですが、「フリクリ プログレ」では、1話ごとに作風が大きく異なることもあってか、全体を通しての一貫性を感じることはほとんどありませんでした。
どちらかというとスタジオ・ポノック制作の「ちいさな英雄-カニとタマゴと透明人間-」のような短編をくっつけたオムニバス作品のような印象のほうが強く、1話1話を単独で楽しむ作品のように感じられました。
「フリクリ プログレ」は「考える」のではなく「感じる」作品
「フリクリ プログレ」はストーリーや設定を「考え」ながら追いかけるのではなく、頭を空っぽにして、目と耳から得たありのままを「感じる」作品なんだと思います。
まさに「セカイは、テキトーに」というサブタイトルがふさわしいです。
そうでなければ「置いてけぼり感」に耐えられなくなり、途中退席するか眠るかのどちらかになってしまう可能性がとても高いです。
私も正直な所、途中何回かウツラウツラとしてしまいました。
単純にレイトショーがきつかっただけなのかもしれませんが。
思春期の少年少女が見る夢のよう
異なる監督と異なる手法で描かれる「フリクリ プログレ」は、いくら考えても正解などない、まるで「思春期の少年少女が見る夢のよう」な印象を受けました。
- すべての物事に意味があるわけではない
- 頭の中はつねにぐちゃぐちゃでいつも混乱している
- 何かをしたい、何かになりたいという強い欲求がある
- 誰かを好きになりたい、好かれたい
このように10代の思春期のころに感じていたような、あるいは夢見ていたようなことを「フリクリ プログレ」が映像化しちゃいました、みたいな。
まとめ
映画「フリクリ プログレ」を観た感想について書きましたが、いかがだったでしょうか?
「フリクリ オルタナ」の後をついでガッツリと話が拡大される方向(『トップをねらえ!』のほう)へ行くことを期待していたのですが、完全に予想が外れてしまいました。
映像そのものとしては楽しめたのですが、やはり追いかけるべきストーリー要素がとても希薄に感じられたことと、「置いてけぼり」感がハンパじゃなかったため、正直なところ、めちゃくちゃ眠かったです。(かろうじて起きてましたが)
もう単純に感性が「合う」か「合わないか」というだけのような気がします。
私は残念ながら合いませんでした。
それにしても今回上映された2つの作品「オルタナ」と「プログレ」。
果たして採算取れる見込みはあるのでしょうか?
私が観に行った劇場はいずれも小さいスクリーンばかりでしたし、ほとんど観客の入りもないような状況でした。
今回の「プログレ」も早々に公開を打ち切られてしまうような気がしてなりません。
それだけが心配ですね。
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